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2020/12/13[院長コラム]今年の師走 改めて資本主義を考える

こんにちは

師走も半ば、あと三週間弱で新年を迎えます。本当〜にコロナで始まりコロナで終わった一年でした。

いやまだ終わってはいませんね。コロナで亡くなった方や罹患した方々そしてコロナ禍で様々に生活が激変した方々にとっては今正に禍の渦中です。たとえワクチンが安全に世界中の人々に供給されるようになったとしても決して私たちはコロナに打ち勝ったわけではありません。

もうコロナの前の生活に戻ることはできないのです。

一方でコロナ禍は私たちに多くの隠れていた問題を明らかにし、見過ごされていた格差や不平等そしてそれらを生み出していた資本主義の限界を教えてくれています。政治家たちはあいも変わらず経済と命を両天秤にかけるような愚策を陋していますが、いずれにせよ彼らの視座に寄るところの政策ではどん詰まりは明らかではないでしょうか。

 

そのような中私と同じような視点で現在を見られる方が結構多いことを心強く感じた記事が幾つか目に止まりました。ひとつは「苦海浄土」の作者として知られている石牟礼道子さんに関する記事です(12月2日 朝日新聞朝刊 上原佳久)。

そこではコロナ禍の今石牟礼さんにまつわるプレゼンが多くなされていることに関し法政大学総長の田中優子氏(近世文学)がこのように述べています。今の状況を「3.11の後に似ている」とした上で「新型コロナでもやはり、世の中の仕組みがひっくり返った。近代以降の人間社会を根底から問い直した石牟礼さんの思想に、これからの時代の手がかりを求めているのでは」としさらに資本主義の論理が行き渡った近代以降の社会では、利益や経済成長といった「数値ピラミッド」を上へ上へと登ることがもとめられ、どれだけ稼いだからという「生産性」のものさしで人の価値がはかられるようになったと見る。「『生産性』を上げるよう個人間の競争を強いられるうち、本来備わっていた共感力を削り落とさなければ生きづらくなってしまった。」コロナ禍は立場の異なる相手への共感力が試される機会でもある。「人の苦しみにもだえた石牟礼さんと同じ立場に立って、社会のあり方を見つめ直す時だと思います。」と。

 

さらに12月4日付のやはり朝日新聞朝刊での中沢、近藤の記事では気候変動と資本主義の行く末をあわせ、考察し次のように述べています。近年の増加の一途の激甚災害に関して米大統領選挙では①因果関係を疑問視し、かえって化石燃料ブームを起こす②地球温暖化対策を取りつつ経済成長も狙うという対立軸で争われたが、以前このコラムで私が言葉を寄せた『人新世の「資本論」』の著者佐藤幸平氏は第三の対立軸として「脱成長コミュニズム」を掲げている。これは今までの資本主義のテーブル上での脱成長論とは異なり、資本主義を捨てなおかつ「清貧」ではなく「潤沢」なコミニュズムを獲得する必要性を論じている。

水や電力、森林、住居、医療や教育などは営利企業にまかせたり生産性を問うたりせず市民が管理するコモンズ(公共財)として行くというものです。そしてそれらは環境活動家グレタ・トゥンベリさんらZ世代(97年以降生まれ)を中心に個別に生じた小さな運動が連動するウネリとなって少しずつ世界に広がりつつあると言います。個々の運動の流れは、か細い。しかし楽しければ、長く続く。流れと流れがつながれば、奔流になる。いつか氾濫する、かもしれい。 と。

 

石牟礼さんの記事、そして気候変動への対応に関する記事、いずれも現在の問題が単に生物学的、気象学的な問題ではなくその根底に「生産性」や「効率」を追い求め続ける資本主義の問題が背後にある事を述べています。さらにその解決として孤立主義の個ではなく公=コミュニズムとしての個のあり方を問うことで一致しておりこの時期に偶然とは言えない大きな問題提起を感じました。

みなさんはいかがでしょうか。